「キャラも調べる。モデルも調べる。両方を強いと感じ??知識に変える度量こそが読者には肝要だ」
お待たせしました。
刃牙シリーズの登場人物と、そのモデル(と思しき)人物の紹介をしていこうと思います。
今回は『バキ』~『範馬刃牙』までの列挙となります。
バキ『最凶死刑囚編』
最凶死刑囚スペック
敗北を知るために深海から来日した『最凶死刑囚』の一人で、スキンヘッドとタトゥーがトレードマークの巨漢のアメリカ人。
多数の警官に加えて民間人をも虐殺したり、自由の女神像への破壊行為、留置所の壁をぶち破ってコンビニに行く、手首のプレゼント、国内指折りの名家への放火など、その言動はあらゆる面でネジが外れ、狂気に彩られています。
最後の放火は別の人がやったのですが。
花山との死闘は、作中屈指の名勝負。
>>>花山薫wikiまとめ『刃牙道で宮本武蔵と激突!?実はスペック戦後【ほとんど戦っていない】件』
拳銃の使用は当然のこと、その弾丸を対戦相手の口の中で起爆させたりと、作品の舞台がこれまでの格闘試合とは一線を画する殺し合いの世界であることと、花山が滅茶苦茶強いということが存分に描かれました。
死刑囚たちの中では、最も素晴らしい敗北を知ったと言えるでしょう。
スペックのモデルは?
ロシア(ソビエト)で52人を殺害した殺人鬼、アンドレイ・チカチーロがスペックのモデルとされています。
数々の異名を持つ戦後指折りの連続殺人者であり、当然死刑になっています。
確かに狂人ではあるのですが、スペックとの共通性や参考にされたであろうエピソードなどは確認できませんでした。
スペック同様にスキンヘッドではありますが、これは逮捕後にシラミ除けの為に髪が剃られた結果です。
恐らくは残された数々の写真でも見ることのできる、その狂気に満ちた笑い顔から着想を得て、スペックという凄みに溢れたキャラクターが創られたのであろうと思われます。
ドリアン(怒李庵海王)
敗北を知るために絞首台から来日した『最凶死刑囚』の一人で、豊かな白髭がトレードマークの巨漢のアメリカ人。
細く頑丈な特殊繊維ワイヤーや火炎放射など、不意を衝く様々な隠し武器、催眠術といった、非常に狡猾で卑怯な手段を用いて闘います。
胃に何か仕込んでおくのが得意。
対戦相手の裏をかいて次々に圧勝を重ねますが、催眠術にかけたはずの独歩に歯が立たず。
離れて遠くから得意のワイヤーを使ったり、火炎放射したり狙撃したらよかったのではないでしょうか。
一旦は敗北を認めたドリアンですが、それももちろんブラフ。
爆弾で独歩邸に襲撃をしかけた後、烈海王と対峙しますが……
すでに自分が人生そのものに破れていたことを悟り、人格崩壊してしまいます。
終戦後の日本に米兵として来日していたり、中国で「海王」の称号を得た拳法家であるなど、その経歴は波乱万丈です。
ちなみに中国拳法はほとんど使いません。
後に中国大擂台賽編にもオリバを付き人に伴って登場しますが……その役割は、『オリバを無理矢理登場させるため』という敗北感しか残らないものでした。
ドリアンのモデルは?
映画『ザ・ロック』に登場したジョン・パトリック・メイソンが顔のモデルとなっています。
演じたのはショーン・コネリー。
彼は難攻不落のアルカトラズからの脱獄経験のある年老いた囚人で、主人公を手助けすることとなる裏の主人公と言える存在です。
元イギリスの秘密情報部の諜報部員で、これはコネリーの出世作となった『007』のジェームズ・ボンドと重なる設定です。
往年のファンを喜ばせたこの設定は、コネリーの発案によるものなんだとか。
ここまで書いてきてなんですが、ドリアンとの内面の共通性は特にありません。
不意を突いてFBI長官をビルから突き落としたり、敵をガソリンで火あぶりにしたりはしますが、やはりボンドの未来の姿、どこまでも完璧な、かっこいい頼れるデキる男なのです。
死刑囚のモチーフを探していて、話題になっていたこの作品のキャラを取り上げたという所なのではないでしょうか。
シコルスキー「ダヴァーイッッ」
敗北を知るためにロケット発射孔から来日した『最凶死刑囚』の一人で、金バケツがトレードマークの全裸のロシア人。
驚異的な指の力を誇り、掴むものがほとんどない壁を登り切り脱獄。
拳を尖らせて放つカーヴィング・ナックルは相手に切り傷を与えるほどの鋭さを誇ります。
アレクサンダー・ガーレンを相手にその顛末も描写されないほどに圧勝し、猪狩と部下を向こうに回しては、忍者ハットリくんのファミコンゲームのようにダンベルを投げつけるなどして、一方的に叩きのめしました。
しかし、彼が敗北を知らなかったのもここまで。
主人公刃牙(覚醒前)には全裸で金的を食らい、オリバにはラリアット一撃でビルから放り出され、柳とタッグを組んでも再び刃牙にあしらわれ、ジャック兄さんには電話ボックスごとアッパーで浮かされ、挙句の果てのガイア戦では拳銃にビビる始末。
スペックやドリアンほどにはネジが外れていなかったわけです。
シコルスキーのモデルは?
シコルスキーの外見、というより顔は、IQ160でアカデミー脚本賞も受賞した映画俳優のマット・デイモンに似ています。
勇次郎のモデルでもありますね。
>>>勇次郎のモデル
『プライベート・ライアン』の衛生兵役が印象的で、主演として『ボーン』シリーズなどがあり、押しも押されぬハリウッドのトップクラスに位置する俳優です。
マットが犯罪者を演じる作品と言えば『オーシャンズ11』なわけですが、公開は2001年。
連載時期は制作発表などはされていたはず、といったところ。
これを機に初期の作品を中心に出演作を色々と見てはみたものの、押し寄せる感動でシコルの醜態は吹き飛んでしまいました。
ひねくれていたりはするものの、基本好青年が多数を占める演じたキャラクターとシコルの共通点は、特に見つけることができませんでした。
比べちゃダメとさえ思われました。
なお、名前の良く似たロック・クライミングの選手がモデルという説もあるようですが、実在が確認できませんでした。
空掌&毒手『柳龍光』
敗北を知るために元々日本にいた『最凶死刑囚』の一人で、サツマイモ色の手がトレードマークの小柄な日本人。
殺人術『空道』(外国人に大ブーム中)を修めており、掌の中の酸素濃度を変えて最も人体に有害な毒、低酸素状態を造り出す空掌が得意技。
作中屈指の謎技術です。
ちなみに、刃牙外伝スカーフェイスでは、師匠であるマスター国松が大活躍するので、柳ファンの皆様(?)は一見の価値アリ。
バキ外伝 疵面-スカーフェイス- コミック 1-7巻セット (チャンピオンREDコミックス)
その真骨頂は長年の鍛錬で培われた毒手。
かすっただけで視力を奪い、触れただけで皮膚が腐り、血液に入れば死を免れない、作品の舞台を有無を言わせずガラリと変えることにも役立つ凶悪な武器なのです。
他にも、水銀の鞭と称される鞭打、鎌同士を紐でつなげた風神鎌の扱い、用務員への変装術など多彩な技も持ち味としています。
※のちに鞭打は範馬家御用達の便利技に。
公園での武器を手にした本部との戦いでは、毒手も切り落とされるも敗北を認めることなく、最終的には勇次郎がおいしい所を持っていきました。
※俗にいう公園本部状態。サイヤ人で言えば超サイヤ人状態。
柳に片目を奪われた過去のある、達人・渋川先生にリベンジを果たしてほしい所でしたが、ならず。
柳龍光のモデルは?
名前、容姿ともに合気道の達人・柳龍拳が初期におけるモデルとなっています。
龍拳さんは「体に触れずに気で相手を跳ね飛ばす」、一般にイメージされる合気道の達人と知られ、他流派の挑戦を募ったりテレビ出演などでも活躍されました。
刃牙作中での龍光の闘いも、本来は渋川との合気対決に焦点が当たる予定だったと思われます。
しかしながら彼のWikipediaでの肩書に霊媒師と付記されていたりするように、色々な噂の影響もあって龍光のモデルとしては途中降板したようです。
同時に渋川先生との決着も描かれることはなくなりました。残念。
方向転換により新たなモデルとなったのが、現存する最古の戸隠流をはじめとした数々の忍術流派の宗家であり、古武術にも精通する現代に生きる忍者、初見良昭さんです。
通常我々(特に外国の方々)が考えるいわゆるニンジャのイメージも、そこから一歩踏み込んだ本格的(現実的)な忍者像も、初見さんの尽力によりグローバルに広まったものと言えます。
ニンジャを取り上げた特撮番組などでも指導・及び出演されていました。
刃牙作中でのマスター国松と、その道場のように外国でも絶大な人気があり、例えばFBIやSASから指導を請われたり、主宰する道場武神館には、外国からやって来る多数の弟子が絶えることがありません。
近年は某『あなたは何をしに日本へ来たのかを取材するテレビ番組』などでも武神館はちらほら取り上げられたりしていますね。
初見さんの戸隠流忍術は後にゲバルの使う忍術のモチーフにもなっています。
ちなみに龍光の師匠であるマスター国松(外伝でも登場)のモデルは、初見さんの師匠である高松寿嗣さん。
実際猛禽類のような手をされていたそうですが、先程の道場の件も合わせ、初見さんと高松さんの両方がマスター国松としてミックスされていると考えられそうです。
アンチェイン『ビスケット・オリバ』
超規格外の腕力に物を言わせ、法の外に君臨する『Mr.アンチェイン』(繋がれざる者)。
地球上で最も自由に振る舞い生きると称され、180cm余りの身長に、150kgを超える黒光りする筋肉を搭載するアメリカ最強の男です。
>>>【Mr.アンチェイン】ビスケットオリバまとめ|強さの理由は食事より彼女マリアの存在にこそあるッッ
囚人でありながら過剰なほどの特別待遇を受けており、刑務所外の誰よりも自由で贅沢な暮らしを営んでいます。
それも全て、ハンターとして、手に負えない凶悪犯の捕縛を、世界各国から要請されるほどの高い能力を持つためなのです。
他のキャラクターより一段格上に描かれており、その実力は範馬勇次郎も一目置くほど。
もちろん軍事衛星に監視されています。
パワーや耐久力は言うに及ばぬ怪力無双、小細工を弄せず相手を正面から叩き潰すことを好みます。
機敏な身のこなしも持ち併せ、散弾銃で受けた傷がみるみる塞がる生命力と、「知らない事はない」とされる高い知能までも備えた完璧人間。
とことん自由人でありながら努力家・人格者でもあり、飄々とした茶目っ気も見せます。
再三露わとなる自分勝手さや子供じみた意地、自由への執着や精神的な弱さも、それもまた大きな魅力です。
話が予想外の方向に飛びまくる監獄バトル編で、彼自身もその評価を翻弄された人物であり、パワー勝負において刃牙・勇次郎と親子二代に続けて敗北する結末に。
ピクル戦で、同じように真っ向勝負を挑んだ刃牙は完敗しており、もう何と言えばいいのか……
オリバのモデルは?
モデルとなったセルジオ・オリバは、「The Myth(神話)」と呼ばれた伝説的ボディビルダー。
ビスケット・オリバと同じくキューバ出身で、アメリカへの亡命後にボディービルの世界大会の最高峰「ミスターオリンピア」を3連覇しました。
プロテインもトレーニングマシンもない時代に作り出したその肉体の筋肉量は、当時の基準とは一線を画し、ボディビルの歴史を変える芸術品でした。
身長175cmにして体重は胸囲が142cm、ウエスト73cm。
このウエストの細さが特筆もので、上半身の筋肉が見事な逆三角形「Vシェイプ」を形作りました。
ビスケット・オリバが強さとは筋肉と見せつけた時などにとったものと同じ「オリバポーズ」は今も語り草となっています。
「オリンピア」の3連覇目ではシュワルツェネッガーに土をつけて優勝。
その肉体美でハリウッド映画界に肉体派俳優というジャンルを生み出し、州知事にまで上り詰めることになるあのシュワちゃんです。
シュワルツェネッガーは心理戦が巧みで、翌年の「オリンピア」では共にポージング審査を受けていたセルジオ・オリバに「疲れたからこれくらいにしよう」と持ち掛け、彼がステージを降りたのを確認、自分は競技を続けることで逆転し、雪辱を果たしています。
ハンドポケットやハンカチ茶番を見るに、相手の策略や土俵に乗せられやすい、いや、自ら乗りかかっていくのは二人のオリバに共通するところかもしれません。
3年目もシュワルツェネッガーに敗れたセルジオ・オリバは引退するのですが、彼の後を継いで大会を6連覇し、引退まで無敗を貫いてボディビルブームを巻き起こすシュワルツェネッガー(のちに復帰し7勝目も挙げています)に最後の土をつけたのがセルジオ・オリバということになります。
さて、ボディビルを始める前のセルジオ・オリバは、16歳と若くしてキューバ国軍に入隊。
しかし、彼は職を失うことになってしまいます。
アメリカの傀儡だった国軍が敗れ、キューバ革命が成立したのです。
その後のセルジオ・オリバはまず、ウエイトリフティングの世界で頭角を現しました。
そしてキューバの国際選手になった彼は、国際大会期間中にアメリカに亡命し、以後ボディビルダーの道を歩むことになります。
ビスケット・オリバもキューバ出身者ですが、待遇からはアメリカに亡命しているものと見てほぼ間違いないでしょう。
そこにキューバ革命が絡んでいたかは分かりませんが、別の登場人物のモデルともキューバ革命は深い縁があります。
そこから考えられる板垣先生の用意した対比もありますので、彼とビスケット・オリバの関わりについてはJ・ゲバルのモデルの項において紹介します。
ビスケット・オリバと言えば驚異的なタフネスですが、セルジオ・オリバにも(奥さんの手で!)銃を5発撃ちこまれて生きており、自分で車に乗って病院に向かったなどのエピソードがあります。
豪華な食事と一日10万キロカロリーの摂取も印象的ですが、実際のセルジオ・オリバも非常に高カロリーの食事をとっていたことが知られています。
彼の場合、筋肉を抑え込むとかいうウソではなく、尋常ではないハードトレーニングの糧とするためだったのですが。
上記したようにプロテインもトレーニングマシンもない時代です。
とんでもない体重の恋人を支える為といった愛を理由にするのでなければ、彼のような筋肉を鍛えるには異常なほどのハードトレーニングが必要だったのです。
しかも、彼は製鉄所での12時間労働と並行してそのトレーニングを行っていたのです。
ヘリコプターと綱引きするよりきついトレーニングだったはずです。
『中国大擂台賽編』
日本人海王『寂海王』
日本人ながら海王の称号を得た、肉体派スカウトマン。
スキンヘッドにヒゲをたくわえ、柔和な物腰と笑顔が特徴です。
中国で拳法を学んだ後、若者を導く教育者たることを自らに課して日本で流派「空拳道」を創設。
全国に2万4千人の弟子がおり、共に育てる指導者を常に求めています。
求めている、などという表現は生ぬるく、自ら試合中に対戦相手の引き抜き交渉を行う、飛び込み式のスカウト術を如何なく発揮します。
初対面の実力者、しかも他流派の館長にまでヘッドハンティングを仕掛ける徹底ぶりです。
なお、その成果は作中で確認できません……
「強いだけではつまらんぞ」と対戦相手を諭すなど、勝敗にも独自の哲学を持ちます。
「海王」の席に座る達人ではあるものの(海王のレベルも堕ちたものなわけですが)、烈海王戦では実力差を分析し、特に卑怯と見える技を使っても勝利を目指す一面を見せました。
掴みどころのない人柄と戦法で駆け引きを行い、髪はないので掴まれませんでしたが、ヒゲは掴まれてむしり取られてしまいます。
自らの土俵に格上を引きずり込んでの惜敗を喫しましたが、烈にもその精神を認められ、「真の勝利者」と称えられました。
後にもちょくちょく顔を出すものの、その戦いが描かれることはありません。
護身開眼も心理戦も勧誘も、ピクルや武蔵には通じなさそうなので仕方がないのですが。
寂海王のモデルは?
少林寺拳法を創設した宋道臣さんがモデルとなっています。
寂海王は容姿もよく似ていますが、その内面もよく似た(『バキ』以降には)珍しいキャラクターです。
戦前には陸軍で特殊工作員として活動。
満州や中国で多くの中国拳法の達人に師事し、太平洋戦争後に帰国しました。
宋さんは、敗戦国日本の青少年が道義心も愛国心も失い、生きる理想までをも失っていることを痛感しました。
花山薫のモデル、花形敬さんの時も述べましたが、戦前の日本人の誇りや自身は、戦時中の特異な社会構造に依存した虚構物だったのです。
花形と宋さんが出会っていれば……とも思いますし、花山薫と出会ったとき、宋さんは何を思うのでしょう。
さて、宋さんが少林寺拳法の創設で目指したのは、団結と自他共栄による理想郷です。
その為には、若者が社会や時代の流れに依存するのではなく、本当に拠り所となる自己を確立することが必要でした。
かくして、剛健な肉体と不屈の精神力を基盤とした自信と勇気と慈悲の心を植え付けることで「人の質を高める」、単なるスポーツや武道ではない「行」としての少林寺拳法の道が始まります。
宋さんが強さを腕力や拳骨ではなく、心の底で違うと感じていることに「妥協しない勇気」と定義したことは興味深いことです。
刃牙世界での強さ「我がままを押し通す力」とは正反対のようでありながら、その根底は同じなのです。
少林寺拳法は武道ではないという言葉の通り、試合などはまず行われません。
三崎が最大トーナメントに、破門されてまで出場したのはその為です。
>>>三崎健吾ってダレ?
少林寺拳法は極真会館との間には激しい抗争が起きましたが、少林寺側が再三の立合いの要請を受けることはついにありませんでした。
ちなみに、抗争の発端は宋さんが「牛の角切って何が嬉しいの?(意訳)」と、牛殺しで名をはせていた大山倍達さんを暗に批判したことだったりします。
それが大山さんによる「角切ってから言え(意訳)」「中国の少林拳と少林寺拳法の関連性はない。インチキな名前だ!(意訳)」という反論を呼び、泥沼化していったのです。
寂海王と、大山さんをモデルとする独歩は顔を合わせたりもしていますが、実際には相性が悪いかもしれません……
狂人・龍書文
台湾の擂台賽を4連覇し、黒社会の地下格闘試合で25年無敗を誇る「狂人・書文」。
「海王」の称号こそ持ちませんが、その実力は郭海皇のお墨付きです。
「Mr.不可拘束(ミスター・アンチェイン)」と称されており、同じ呼び名を持つオリバと対戦。
居合の要領でハンドポケットの状態から放つ鋭い貫き手「抜拳術」を得意とし、その威力はオリバの叩き落としを受け止め、粗塩で鍛え上げた弾丸をも通さないオリバの肉体に流血を強いる程です。
ポケットの中で拳の加速を終了し、腰を使って手からポケットを抜くという目には見えないこの技は、勇次郎に言われたとおりに刃牙が学び取り、後に親子対決で使用されることになります。
見事な蹴り技の連携で巨体をやすやすと宙に浮かせる、鍛えようのない鼓膜を破るなど、実力でオリバを圧倒しますが、怪力無双の剛腕振り下ろしと、ノーガードで打撃を受け切っての頭突きの三連打により敗北。
最後までハンドポケットという自分のスタイルを崩さない、スマートな「縛られぬ者」の姿がそこにはありました。
龍書文のモデルは?
名前としては李書文さんという李氏八極拳創始者が真っ先に浮かびます。
19世紀生まれで、槍を用いては「神槍」とうたわれた伝説の達人であり、壁の前に群がるハエを、壁に傷をつけることなく次々と撃ち落としたといいます。
その必殺技である「猛虎硬爬山」(テイルズオブなんとかみたいですね)は、軽く掌での突きを出し、次にひじを打ち込む二段技です。
しかし牽制の突きで相手が絶命するため、「二の打ち要らず」と言われていました。
気性が激しく、「凶拳李」と恐れられ、「狂人」の呼び名ともなんとなく似た響きです。
風貌やその他エピソードのモデルと言われているのが「雀鬼」として知られる、麻雀の裏プロとして20年間無敗だった男、桜井章一さんです。
裏社会から足を洗った後も、引退した今現在も、最強の雀士として真っ先に名の挙がる人物です。
裏社会での無敗伝説や大金がかかった代打ちとしての活躍などは、龍とも重なるところがありますね。
鬼で裏プロというと怖そうなイメージですし、代打ちなどと聞くとダーティなイメージが先行するものですが、桜井さんは非常にスマートな人物です。
数々の著作からはその思いやり精神の強い人柄がしのばれます。
龍は敗れ際に「心涼しきは無敵なり」と言い残しますが、「心温かきは万能なり」という、勝負師とはかけ離れたように一見思えるけれど、核心を突いた桜井さんの名言をモチーフとしていることは明らかでありましょう。
中国武術・郭海皇
『海皇』の称号を持ち、中国武術界の頂点に立つ老人。
146歳と非常に高齢ですが、20代の息子がいます。
老いてますます盛んなことで。
かつては鋼のような筋肉をまとって100年前の大擂台賽に優勝した筋力信仰者でしたが、理合を使う武術家に敗れて力を捨てることを決意。
以後も生活の全てを武術に捧げ、自らも完璧な理合を手にしました。
余談ですがこの武術家は伝説的な日本人中国武術家、澤井健一さんがモデルと言われています。
力を捨て去ったことからも分かるように、自分の意に沿わなかった事柄や人物に対してはとことん冷酷であり、省みることがありません。
しかし、意思の強さと向上の兆しが見えた相手には惜しみなく協力し、指導を行います。
郭は小柄で力も弱く、その肉体は骨と皮だけの状態で、普段は車椅子で生活しているほど。
箸より重いものは重く感じる状態です。
自らの力を犠牲とし、世界中の誰よりも多い鍛錬を積んだことで得た理合は、筋肉の弛緩と緊張を支配する「消力(シャオリー)」として結実しました。
緩めては範馬勇次郎の鉄拳を羽毛のように受け流し、引き締めては範馬勇次郎に流血ダメージを与える程のものとなります。
その究極の必殺技は「仮死状態」となって最終的に勝利することでした。
「勝ち敗けの基準」がテーマの一つとなっているであろう2作目『バキ』においても、負けず嫌いは強者の共通点です。
死刑囚たちへの「リベンジ」と死刑囚それぞれの「敗北」を得る過程から始まった『バキ』という作品は、主人公の刃牙が毒への偉大な「勝利」をはじめ、オリバ、寂海王と中国を舞台に様々な勝敗の模様を描き出しました。
武術界の最高峰が最終的な過程で「勝利」し、範馬勇次郎が「敗北」を感じ、再戦を約束したことで話が継がれます。
そして、物語は後のアライJr.の「理由がある大惨敗」で幕を閉じることとなるのです。
郭海皇のモデルは?
これまた19世紀の伝説の達人と知られ、中国拳法史上最強と名高い郭雲深さんからその名を取っている思われます。
流派は形意拳。
郭海皇と類似するようなエピソードは見つかりません。
小柄で気性が激しかったといわれる所とか、ひたすら鍛錬を続けた所とか……?
いずれにせよ、その名を戴くことは郭海皇が武術家として、完全を成したという奇跡を象徴するのに一躍買っている、と言えるでしょう。
身長ほどの肩幅があったとの言い伝えからは、むしろ力を捨てる前の郭海皇の筋肉に覆われた姿が思い浮かびます。
エピソードとしては、道場の練習を盗み見して覚えた技を、一人で3年間修業しマスター、ついに入門が認められたというものがあります。
こうして身に着けた「崩拳」で無敗を重ね、すれ違うように相手を倒して「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と中国全土に名が轟いたそうです。
牢獄に繋がれている間も鍛錬を怠らなかったというエピソードも伝わります。
このエピソードは真実ではないとも言われているのですが、出獄の日に拳が衰えたかを聞かれ、「滅びず」と答えざまに壁を打ち、壁が崩れ落ちたというのです。
こうした軌跡については「うしおととら」「からくりサーカス」などで知られる藤田和日郎さんの初期の短編漫画、「掌の歌」のモチーフとなっています。
鼻が大きいです。
『神の子激突編』
鬼が唯一尊敬する男『マホメド・アライ』
息子のJr.の方ではなく、そのお父さんの方です。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と崇められた20世紀最強のボクサーであり、20世紀最大最高のスポーツマンにして、生きながら神となった男。
貧しい黒人の為に体制と、傷つくベトコンのために国家と戦った国の垣根を超えた英雄。
彼は、その心根を範馬勇次郎が賞賛する程の「力なき者の希望」でした。
自身が夢見た「マホメド・アライ流拳法」は、ボクシングの枠に囚われない全局面対応型闘争術。
ベトナム戦争への徴兵拒否により3年半の長いブランクを余儀なくされ、完成を断念。
夢は息子へと託されることとなります。
その挙句が……
猪狩との異種格闘技戦には、本気のガチンコで臨んだ様子。
しかしその為の来日時、勇次郎による突発的な襲撃を受けてしまいます。
その後は勇次郎に息子を紹介し、その成長を促すなど懇意にしていたようです。
しかし、作中の現代では息子の拳を受けた為にパンチドランカーになっていました。
その後、息子へのリベンジの為に再起。
5年間身体を鍛え上げ、15Rは無理とうそぶきながら、取り戻した全盛期の動きで、大怪我人の息子を打ち負かします。
やはり強者は負けず嫌いなものなのです。
アライのモデルは?
言うまでもなく、モハメド・アリさんがそのモデルなわけです。
刃牙の中でアライは、勇次郎を前にして初めてガードを固めますが、アリの初期の最大の防御こそが敏捷力でした。
視力の良さに裏打ちされ、相手のパンチの届く距離を見切り、ぎりぎりで回避することができたのです。
状態を反らしての回避の反動はそのままバネとなり、相手に打ち返されることとなります。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と自ら称したスタイルは、ヘビー級にふさわしくないものとして、試合前に相手を挑発しつくすビッグマウスや、度々に披露される詩と合わせて度々批判されましたが、それは実力によりねじ伏せられました。
当日まで、誰もが思わなかった、ヘビー級王座を奪う大勝利で評価は一転。
詩は下手と言われましたが、今ではラップの父と崇められるほどです。
「俺はベトコンに恨みはないぜ」と言い放ち、銃を向けることなど出来るはずがない、とベトナム戦争への徴兵拒否したことによる3年半のブランク後は、史実でも華麗なステップが失われてしまいました。
以後は「ロープ・ア・ドープ」、ロープ際の魔術師と呼ばれた防御術を駆使したスタイル、さらに後には自分でも今更に気付いた天性のタフネスを活かしたインファイト・ボクシングへとスタイルが変化していきます。
このことは、パンチドランカーとなったアライのように、アリがパーキンソン病を後に発症する原因となってしまいました。
アライとアリを語る上で、外すことができないのが、徴兵拒否の原因ともなった体制との戦いです。
プロデビュー前、ローマオリンピックで金メダルを得て帰郷するも、直面したのは、店長次第でオレンジジュースすら飲ませてもらえないという黒人差別。
「金メダルを川に投げ捨てた」というのは、盛ってしまった実在しないエピソードらしいですが。
次第に彼はイスラム教にのめり込み、改宗してその名を元のカシアス・クレイからモハメド・アリへと変えることになります。
それはアメリカとキリスト教という白人主義からの脱却でした。
後の徴兵拒否でアリは、反戦と平和、弱き者の為に戦う象徴として神格化されていくことになります。
いささか美化のきらいはあれども。
その他にも、様々な史実がアライには盛り込まれています。
例えば、アライはヘビー級のパンチを体験させようと「棒を床に叩きつける」ことをインタビュアーに勧めますが、これはヘビー級王座を得た数か月後のインタビューでのアリの回答からきているものです。
ちなみに子沢山であり、このうち娘さんがプロボクサーとして活躍していました。
範馬刃牙『超絶!!監獄バトル編』
ミスターセカン『J・ゲバル』
オリバが頂点に立つアリゾナ州立刑務所の囚人の中で、2代目「アンチェイン」と目される「ミスター2(セカン)」
オリバ程ではないにせよ、刑務所内において様々な特権を行使する立場にあります。
その実態は、元海賊にして南米の島国の大統領。
素手による格闘術のみでアメリカからの独立を果たした戦闘集団の長です。
刑務所には、「アメリカ最強のオリバと戦ってみたい」という思いから収監されてきました。
軍事衛星で常に監視される3人のうちの1人でもあります。
オリバと渡り合ったその実力は非常に高く、地球の核をその足の支えとすることにより、人を軽々とグルングルンさせながら吹き飛ばすほどのアッパーを放ちます。
日系人であり、本名は純・ゲバル。
髪の毛を使って相手の三半規管を破壊する、ヒゲを目つぶしとするなどの祖父から学んだ忍術をも駆使します。
その飄々とした捉えどころのない人柄は、監獄バトル編の超展開を次々に生み出していく原動力となりました。
理解が追い付かない突拍子のない言動で読者を煙にまく、その姿はまさに忍者!
刃牙との戦いの約束は果たされることなく、さながら暴風雨のようであり、振り返ってみれば何のために出てきたのかという……
アメリカという国とその搾取体制のことは激しく憎んでおり、何かの為に戦う姿勢を否定しつつ、その根底には弱き者の自由の為に戦うという信念が存在していました。
再登場は……どうなんでしょうね。
ゲバルのモデルは?
キューバ革命軍でゲリラ指導者として中心的な役割を負った英雄、言わずと知れたチェ・ゲバラさんがモデルとなっています。
その闘争は、支配階級ばかりでなく、背後にあるアメリカの植民地主義を相手取ったものでした。
私心や野心を持たず、医者としての豊富な知識を持ち、自己犠牲心と義務感にあふれ、勇敢で強固な意志と肉体を持った寡黙な行動派であったとされ、ゲリラ戦の芸術家と呼ばれました。
バズーカ1台、300人の部隊で、航空機の支援を受ける1ダースの戦車と数千の歩兵を向こうに回し、勝利してしまったのです。
哲学者・小説家のジャン・ポール・サルトルは、ゲバラのことを「優れた知識人だった。それだけでなく、20世紀で最も完璧な人物だった」と称えています。
戦闘能力に関しては、銃の名手であったことが有名です。
訓練の中で熊を倒す、砲火の中で一騎打ちを制して武器を奪うなど、近接戦闘にも優れていたと思われます。
生涯にわたって喘息に苦しめられましたが、それでも長年のゲリラ活動に耐えた肉体は非常に強固です。
学生時代はスポーツマンでもあり、ラグビーやサッカーでは猛烈な突進ぶりが見られたといいます。
試合中に発作を起こし、吸入器をかけてまた平然とゲームに戻るようなド根性も持っていました。
チェの言葉に「死ぬにはいい日だ」に似た言葉は見つかりませんでした。
ゲバルは「ヨイサホー」と朗々と歌っていましたが、チェはむしろ音痴だったと伝わっています。
先に少し述べましたが、ビスケット・オリバのモデル、セルジオ・オリバはキューバ国軍の一員として革命軍と戦いました。
オリバとゲバルの対比は、同じキューバ革命に関わった者をモデルとする者同士、という所に着目できます。
アメリカに亡命し自由を謳歌するオリバと、自由への闘争を続けていくのであろうゲバル。
ここいらをうまく描こうとして……ああなったのが監獄バトル編なのではないか。
そう思えるのです。
強者達の闘い編
アンドレイ・ワーレフ
なぜかボクシングの門を叩いた烈海王は、一路ラスベガスへ。
最初の対戦相手となった元ヘヴィ級チャンピオンです。
身長237cm、体重151㎏という規格外の体格を持ったボクサーで、31度ものKOを積み重ねています。
慇懃無礼な烈の態度にも、パフォーマンス以外で怒りを見せず、紳士的に接するできた大人です。
おまけに体格に見合わぬスピードも持ち合わせているとあって、ドカンとお灸をすえてくれるものかと思われましたが……
元ヘヴィ級チャンプということで、アイアン・マイケルとの力関係が気になるところです。
ちなみに烈をアメリカへ導いたマイクパフォーマンスと挑発に長けたプロモーター、カイザーは、マイケルのモデルのマイク・タイソンのプロモーターでもあったドン・キングがモデル。
髪型がそっくりですが、本物よりは性格がよさそうです。
ワーレフのモデルは?
身長213cm、体重148㎏と、近代ボクシングの歴史で身長・体重共に最も大型のロシア人ボクサー、ニコライ・ワルーエフさんがモデルです。
「ロシアの大巨人」などの異名を持ち、いわゆる巨人症による巨体が最大の特徴にして、最大の武器。
2度WBAヘヴィ級王座に輝いており、その生涯成績は53戦50勝、うちKO勝ちを34回収めています。
スピードや技術の優れた選手ではありませんでした。
そのスタイルは巨体とリーチを最大に活かした、極めてオーソドックスなものだったのです。
防御をしっかりと固めてじわじわゆったりと前進し、2mを超える長いリーチで相手を叩きのめすスタイルは、ともすれば退屈にも思えるものの、豪快そのもの。
サイズだけで相手を圧倒すると表現するにふさわしいものでした。
現在はロシアの下院議員。
国会でもなかなかの異彩を放っています。
ジョー・クレーザー
煙のように追いすがり、まとわりつく。
ついたニックネームは「スモーキン」。
試合中の後退を知らぬ、マホメド・アライの評価折り紙付きの、タイトルに一番近いロートルが、烈のボクシング第二の相手となりました。
恵まれぬ体格と才能の限界を超え、36歳にしてタイトルに近付いた彼。
そのくぐってきた経歴は烈も認める程のものですが、アイアン・マイケルとの力関係が(以下略)。
クレーザーは序盤から煙のように烈の攻撃をかわし、最強の左フックで烈の脳を揺らすことに成功。
グローブの使用法にも長け、その重みを武器とするクレーザーは自らのスタイルを貫き、以後も烈を圧倒するも、師の教えを思い出し、揺れを迎えに行くことに成功した烈の空中殺法に翻弄されてしまいます。
最終的にはグローブの中で中指を立てた烈の一撃に敗れることとなりました。拳でボックスを作るからボクシング……とか……作中で見たような……
クレーザーのモデルは?
モデルは、「スモーキング・ジョー」と呼ばれた世界ヘヴィ級チャンピオン、ジョー・フレージャーさん。
煙が取り巻くかのように身体を上下に動かして相手のジャブをかいくぐり、機関車が煙を上げて前進するかのように素早く、力強く攻め込んだことからスモーキングと例えられました。
後退を知らぬと称えられたのもクレーザーと同じ。
サウスポーであり、左フックの回転力はすさまじく、ブランクからモハメド・アリの復帰初戦を下しました。
これはアリのプロとして初の敗戦でした。
東京オリンピックの金メダリストでもあり、若い頃から輝かしいキャリアを積んできましたが、天才肌のアリとは対照的ともされました。
最終的にアリとの対戦は1勝2敗。
3戦ともが死闘と呼べる壮絶な試合であり、終生最大のライバルでありました。
37歳で現役を引退しているので、クレーザーも引退直前だったのかもしれません。
ウィルバー・ボルト
元陸上選手で、「世界最速」の短距離のオリンピック金メダリスト。
何を思ったかボクシングに転向し、4大団体のヘヴィ級統一チャンピオンを達成します。
烈の第三、最後のボクシングの対戦相手となりますが、試合は描かれず。
負けたようです。
そりゃあねえ。
足が速いと強い云々というなら、いくらでももっと速そうな人が山ほどいる刃牙世界。
末堂ですら100mを11秒台で走るのです。
烈先生は川の上を走るのです。
ボルトのモデルは?
ボルトのモデルは、そりゃあ見ての通りボルトです。
引退も記憶に新しい、人類史上最速の「ライトニング・ボルト」、ウサイン・ボルトさんです。
その勝利ポーズはそのまま刃牙のボルトにも取り入れられています。
ボクシングではありませんが、ボルトさん自身もサッカーへの転向希望を折に触れ口にしていましたね……
と思ったら、引退後のボルトさんにはすでに多数の有名クラブからのオファーが来ているそうです。
最速と最強の両立……サッカーの世界で、それは果たされる日が来るのでしょうか。
『史上最強の親子喧嘩編』
範馬勇一郎
範馬勇次郎の父親であり、故人。
親子喧嘩で窮地に陥った孫・刃牙の前に幽霊として迷い出て、温かいエールを送りました。
終戦後も単身で米軍をひっかきまわし、島の形を変える程の爆撃の中で生き残り、戦艦を制圧したなどのハチャメチャっぷりはまさしく範馬の血のなせる業です。
その背には「ONI」の貌が浮かんでいたといいます。
人体をヌンチャクのように振り回し、その身にまとうように見えるという「ドレス」という、しっちゃかめっちゃかな技を得意技としていたそうです。
オリバもかつて似たような技を使っていましたが、勇次郎が再現したものを見た彼曰く、振り回す人体を道具のように巧みに扱う格上の技のようです。
どうしよう、あんまり違いが分からない。
彼個人を倒す為に原爆の使用が打診されたとかなんとか……
異常な肩幅と極太の足と首はかつて米軍を、現代で孫を震え上がらせました。
息子は怒りで震えていました。
外伝によれば柔道家であったらしく、戦後に力剛山との対戦を行っています。
紛いなりの八百長試合とはいえ、勇一郎と対峙できた力剛山は、実はすごく強かったのではないでしょうか?
力剛山は一応、地下闘技場のチャンピオンだったハズなんですけどねぇ。
路上でヤクザに刺されてって・・・藤木組系の花山一族が絡んでたりして。
勇一郎のモデルは?
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」、『史上最強の柔道家』と謳われる木村政彦さんが、刃牙のおじいちゃんのモデルです。
「昭和の姿三四郎」と呼ばれて親しまれ、右大外刈りを得意武器に戦前・戦中の全日本選手権を10連覇し、15年間無敗を貫きました。
プロ転向後も負けることがありませんでしたが、肺病を患った妻の治療費を稼ぐためプロレスラーに転向。
異種格闘技戦の先駆けとなるバーリトゥード戦をカポエラチャンピオンと行うなど、今日の日本の総合格闘家の先駆け的存在でもあります。
独歩のモデルである大山倍達さんの大学の先輩で、仲が良く、一緒に練習をしたりお互いの武道観を語り合ったりしたそうです。
練習に非常に熱心であったことで知られ、常に人の三倍の努力をし、寝る前にも1、2時間を技の研究に当てていたといいます。
プロレスラーに転向後、ブラジルではヒクソン・グレイシーらの父、エリオ・グレイシーと対戦し、これに勝利。
決め技となった腕がらめは今も海外では「キムラロック」と呼ばれています。
帰国後は力道山とタッグを組んだり、その力道山と「巌流島対決」を行ったりもしました。
様々ないわれのあるこの試合は、そのまま勇一郎と力剛山の対戦のモチーフとなっています。
まとめ
登場人物とそのモデルを列挙してきました。
脇役にはまだまだ数えきれないモデルがいる登場人物ばかりですけどね!